『轍の先にあるもの』執筆記

SF作家 ” 野尻抱介 ”

  • Jan. 23 2016

早川書房の SF マガジン・20001年05月号(04月25日発売)に掲載された拙作『轍の先にあるもの』は、MEF を題材にした短編 SF 小説です。作品を読んでこのウェブサイトを見に来てくださった方のために、執筆の経緯を述べたいと思います。

(1)発端
掲載号はアーサー・C・クラーク特集で、「クラークへのオマージュになる短編を」という依頼でした。依頼があったのは何か月も前のことです。最初は『渇きの海』、次に『太陽系最後の日』のオマージュを考えていたのですが、いまひとつピンとくるものがなく、悶々と考えていました。
そこへ降ってきたのが NEAR シューメーカー探査機のエロス着陸です。
着陸直前、最後の画像にあった蛇行模様について MEF のメーリングリストで質問したのが02月14日のこと。(このログは、 ” MEF 会員ページ ” で入会手続きをすれば読めます)
メールで専門家の意見を聞き、NEAR のサイトから次々に画像をダウンロードしているうちに思ったのは、「ああ、私はクラークの描いた未来に住んでるんだなあ」ということでした。
ならば、このことをそのまま作品にしてしまえ、私小説になったっていいじゃないか、MEF の宣伝になるし、と思って書いたのが『轍の先にあるもの』です。SF マガジンの塩澤編集長に相談してみると、「とりあえず、書いてみてください」とのことでした。

初稿が上がったのが02月25日。編集長からは一部リライトを求められましたが、基本的には「GO」で、扱いとしては『2010年宇宙の旅』の(執筆姿勢そのものへの)オマージュとしました。
二稿の完成が03月02日。原稿を MEF の矢野さん、秋山さん、出村さん、平田さんにメールして、引用部分の承諾と意見を求めました。
当時矢野さんは出張していてネットアクセスできない状態だったので、秋山さんが原稿を長大な FAX にして出張先に転送してくれました。自分としては、いきなり重い原稿ファイルを添付して送りつけるだけでも相当ためらったので、この所業にはかなり驚きました(笑)。惑星科学の業界では重いファイルや文書を送りつけることが慣れっこになっているのでしょうか。

ポスト MUSES-C の名称、エロスの内部構造などについてメールで指摘があり、矢野さんからはびっしり書き込みの入った FAX が届きました。ありがたいことです。

(2)エロス画像のディスカッション
ディスカッションの場面は MEF のメーリングリストで流れたものを、少し整理した程度です。したがって登場人物のモデルは秋野=秋山演亮(東大)さん、出町=出村裕英さん(NASDA)、平岡=平田成さん(NASDA)、只野&矢崎=矢野創さん(宇宙研)。

このディスカッションでは、蛇行模様よりもイジェクタ・ブランケットに関する議論が盛り上がって「へえ、研究者はこんなところに目をつけるのか」と驚きました。さして鮮明とはいえない画像の、微かな特徴をとらえて考察してゆく様子はシャーロック・ホームズの推理のようで、とてもエキサイティングでした。矢野さんによれば「この議論は月や火星などの大きい重力下の現象を下敷きにしていて、マイクロ G での考察が不十分ではないか」とのことですが、それに対する留保は平岡の発言の中にあるので、これでよしとしました。

02月23日には MEF で ” エロス画像公開討論会 ” がオンラインで行われました。多忙な中、環境をセットアップしてくれた秋山さんには感謝するほかありません。
この討論会で私は、一般の人が読んでもわかるように、橋渡しになるような発言をしていくつもりだったのですが、チャットが始まった途端、自分の興味がおもむくままに突っ走って議論を引っかき回しました。反省しています。ごめんなさい。もうしません。
この討論会で、小惑星上では液状化現象が起きそうにないことがわかったので、小説の展開を急遽改めました。それまではインパクトの直後に液状化が発生し、登場人物が巻き込まれることにしようと思っていたのですが。

作品中に書いた通り、こうした議論を通して私は小惑星研究の面白さを再認識しました。当初は SF のお約束どおり、なんらかの生命かその前駆物質を登場させようと思ったのですが、そんな粉飾をしなくても、小惑星はありのままでとても面白いのです。その地学としての面白さから目を逸らさないでいこう、と思いました。

(3)軌道エレベーター
小説では「私」が生きているうちにエロスに行けなければいけないので、宇宙開発を大幅に加速させる設定が必要でした。
そこで軌道エレベーターを建造することにしました。これはクラークの代表作『楽園の泉』のメインテーマでもあるので、オマージュ短編としてもうってつけです。
『楽園の泉』ではその素材にカーボン・ウィスカーを使っていましたが、現在の有力候補はカーボン・ナノチューブです。『楽園の泉』が刊行された1977年にはそんなものは発見されていなかったので、その固定観念を払拭する機会でもありました。
デブリとの衝突問題はフォワードが提案した「ホイテザー」構造で乗り切り、人工衛星は「クラーク振動」で回避する。建設初期、大気圏内での破断を避けるためには、矢野さんの提案による「スーパープレッシャー気球による高々度プラットホームで出迎える」方式を急遽加えました。あまり知られていませんが、これも宇宙研の十八番です。なお、「スーパープレッシャー気球」という言葉が作品中に出てこないのは、それを書くと説明も必要になって、紙幅が足りなかったためです。

作品中ではやすやすと建設された軌道エレベーターですが、現実にはこうはいかないでしょう。9.2 トンはテザーの質量で、アンカーの質量や軌道制御の燃料も要りますから、一回の打ち上げではまず無理です。二本目のテザーがかかるまで最初のテザーが持ちこたえるかどうかもかなり疑問です。スペースデブリの衝突がなくても、テザーは放射線で刻々と劣化していきます。ヴァン・アレン帯での放射線被曝を思えば、補修には軽量で高性能なロボットが必要です。そのほかリニア軌道の重量や送電、各種の法的問題、国際的合意など、さまざまな困難が考えられます。
しかしロケットに代わる軌道到達手段はぜひとも確立すべきです。より実現しやすい低軌道バージョンの研究から始めて、宇宙テザー技術をものにしていけばいいと思うのですが。

(4)2010~20年代の宇宙研と太陽系
相模原の宇宙研には一般公開の日に二度、「のぞみ」打ち上げ前に SF オンラインの「的川泰宣教授インタビュー(リンク切れ)」で一度訪問しました。私にはおなじみの場所なので、拙作『天使は結果オーライ』『太陽の簒奪者』にも登場しています。宇宙研の一般公開は文化祭みたいな手作りの味わいがあって、とても面白いです。ロケットはもちろん、気球もあればテザーもあります。衝突実験用のガス銃や、振動試験装置もあります。あきれるほどの低予算で、実に幅広い研究をしているのです。
内之浦は「のぞみ」の打ち上げで取材(リンク切れ)」しました。夜間に打ち上げられた M-V ロケットの噴射炎は夢のように美しくて、いまでも目に焼きついています。
内之浦の街は射場から一山越えた海岸にあって、自然豊かないいところです。海岸ではキスがいくらでも釣れました。スナック『ニュー・ロケット』は実在していて、的川先生の著書でご存じの方もおありでしょう。宇宙研の重鎮どころのたまり場のようですが、若手の人も来るんでしょうか。現在の若手研究者が2010年にここでカラオケをするかどうか――これは SF の領分です。

ロケット・グループと衛星グループが一丸となる宇宙研の気風は、的川先生のインタビューや著書で知りました。メーカー主導の傾向や NASDA との統合の話などもあって、これが2010年にどうなっているか、ちょっと想像しにくいです。立ち入ったことを書いたかなあ、とも思います。
ポスト MUSES-C は、M-V ロケットの輸送能力ではちょっと苦しいそうですが、可能な解もあるということで、小説ではそのようにしました。やっぱり宇宙研なら M-V でなきゃ、と思いますし。

内之浦から見た軌道エレベーターは、「岬(火崎)の向こう」というよりは、もっと山側に見えると思うんですが、海岸らしい構図にしたかったので、あのような文章になっています。
軌道エレベーターの実現後は、もうなんでもあり(笑)ということで、ミチカワ号とウチノウラ号という有人惑星間宇宙船が就航します。ミチカワは糸川博士の時代にロケット実験をした秋田県の道川海岸にちなんでいます。
両船については詳しく描写していませんが、おそらく不屈のロケット・グループが、JEM のノウハウを持つ NASDA と共同開発したのでしょう。メインベルトを巡検するにはちょっと苦しいかもしれませんが、推進系は化学燃料のつもりです。居住部分は 50 トンくらいで、スペースシャトルのペイロード・ベイくらいの広さを想定しています。

火星探査はマーズ・ダイレクト計画を参考に、原子炉の設置と現地燃料生産を想定しています。地表に国際共同の恒久基地があり、現在の南極調査くらいの難易度としています。
フォボスにはお約束の宇宙港が建設されています。秋山さん(秋野)は、ここで建設責任者として活躍していることになっています。彼はゼネコン社員でもありますし、MEF ではフォボスのボーリング探査を提案していますので。
平田さん(平岡)と出村さん(出町)さんは「クレーターおたく」として知られているので、火星名物の花弁状クレーターを思う存分掘り返していただくことにしました。
「固体天体とみれば穴を掘りたがる」傾向は、私が惑星科学者に対して常々感じていることですが、当人たちに確かめたわけではありません。でもきっとそうでしょう。私自身についていえば、露頭を見れば引っ掻いてみたくなるし、石を拾えばハンマーでかち割って新鮮な面を眺めたくなります。

(5)小惑星エロス着陸
ACT・1 で ” 最後の画像 ” を見ながら「うう、くそっ、まわりはどうなってるんだ!」とうめく場面がありますが、原稿を書き終えた頃になって、” この右隣と大石の向こうの写った画像 ” があることを知りました。
レゴリスの粗い面と滑らかな面の境界線は、後者の画像ではそれほど直線的でなく、レゴリスに埋没したクレーターのように見えるのですが、よくわかりません。
この付近に NEAR シューメーカー探査機が転がっている、撫荒武吉さんのイラストには心を打たれました。「ああ、自分はこんな光景が見たかったんだ」と思ったものです。
(どなたか絵をコピーして、APL の NEAR チームに送ってあげては?)

裏側でインパクトがあって、エロスの引力圏を脱出せずにこちらに回り込んでくるイジェクタの速度は秒速 5.2 m。引力は一声、直径 12 km、密度 2.7 の球体として計算しました。最初に回り込んでくるのはエロスの短径方向、つまり極軌道をとる物体でしょうから、東西方向に延びた両翼の引力はそれほど効いてこないだろう、と。この軌道を半周するのに約 1 時間かかります。
そんなわけで、大きなインパクトがあっても裏側はしばらく安全なはずです。ウチノウラ号も通信確保のために上陸隊と同じ側に待機しているとすれば、これもひとまず安全。しかしエロス本体で遮蔽された安全地帯は、約 1 時間後にはふさがってしまう。脱出しなかったイジェクタは軌道を一周するまでに大半が落下するでしょうが、中には空中で衝突するなどして向きを変え、周回軌道に乗るものもあるでしょう。そうなった後でエロスに接近するのは危険です。黒田隊長が帰還を急いだのはそのためですが――この想定で当たっているでしょうか?
なお黒田隊長のモデルは、西はりま天文台台長・黒田武彦氏のイメージです。なんとなく、探検隊長に似合いそうな雰囲気なので。

矢野さんによれば、裏側で起きたインパクトのイジェクタ・カーテンは、こちら側からは死角に入って見えないだろうということでした。カーテンの円錐がプシュケ(サイキ)・クレーターの斜面の延長だとすると、確かに無理そうです(笑)。でもこの小説で唯一派手なビジュアルなので、あえて修正しませんでした。
また、イジェクタの発光は一瞬で終わり、何分も輝いて見えることはないそうです。「太陽コロナのような光を放ち」というのは……まあ太陽光がいい具合に散乱したということで勘弁していただけないかと。

地表付近に舞い上がったレゴリスが立ちこめる様子は、エロス画像討論会での話をもとに描写しました。真空中ですから岩も塵も同じ速度で落下しますが、1 m の落下に 20 秒かかるなら、しばらくは霧のような感じに見えてもよさそうな気がします。
蛇行模様の成因については、まったくの空想です。最終画像のいちばん長い蛇行模様の右側にある勾玉状の窪みを見ると、何かがふわっと落ちてきて、少し跳躍して去った跡のようにも見えます。エロス画像討論会でも、何かにレゴリスが付着してはぎ取られた可能性が指摘されていたので、そのようにしました。

(6)轍の先は無限か?
「自然は容易に正体を明かさないし、解答には新たな問いをそえるものだ。この峠を越せば、きっと新たな峠が現れる。あの小さな轍の先にあるもの――それは無限の深淵だ。」

ラス前にある、SF にありがちな大げさな表現ですが、はたして轍の先には無限の謎が待ち受けているのでしょうか。「現場を見れば一分で解決する」んじゃなかったのか(笑)。
そのときつらつら考えたのは、こんなことです。
あの轍は、地下の空隙が陥没してできたものかもしれない。ならばそこを掘ってみないと気が済まないだろう。「深さ方向の模式図」を見ると、深く掘れば掘るほど大きな空隙がありそうだ。さらに掘り進めば、岩塊どうしの接触部分に、変成岩ができているかもしれない。まとまった金属の塊や鉱物の結晶、つららや鍾乳石はあり得ないだろうか? 熱水脈の名残は?有機物は?化学進化の痕跡は?なにか見つかったとしたら、同じものは他の小惑星にもあるのか?地球や火星はどうか?カイパーベルト天体は?オールト雲は?他の星系は?他の銀河は? ……
隕石について勉強した人なら、アエンデ隕石の酸素同位体の分析から、太陽系を構成する物質に二つの起源があることを示唆する、あのぞくぞくするような大発見をご存じでしょう。小さな隕石でさえそんな発見があるのに、小惑星にないと言えるでしょうか。
小惑星をつまらない石ころだと思うのは、想像力が働いていないからです。想像力とは生来の才能ではなく、対象を少し知れば勝手に生えてきます。読者の方にも、これをきっかけに惑星科学の想像力を身につけてもらえたらと思います。そうしてから、あらためて足元を見れば、「つまらない石ころ」など、この宇宙のどこにもないとわかるでしょう。

野尻抱介 - SF 作家