月・惑星科学会議(LPSC)開催経緯とその歴史

ブラウン大学地球・環境・惑星科学科上席研究員 - 廣井孝弘

  • Jan. 26 2016 改訂(Feb. 10 2013 元稿)

1969年7月に NASA のアポロ11号が人類初の月着陸を果たし、月の岩石や表土(レゴリス)を回収してきました。当時八歳の私も家族と共に深夜、白黒テレビでニール・アームストロング船長が月面に着陸し、かの有名な、「一人の人としては小さな一歩だが、人類としては巨大な一歩である」という言葉を聴いていました。

その着陸の 1 年前の1968年03月01日に、ヒューストンの有人宇宙船センター(現在のジョンソン宇宙センター)において、当時のリンドン・B・ジョンソン大統領が LSI(Lunar Science Institute, 月科学研究所)の創設を宣言し、1969年12月には USRA(Universities Space Research Association, 大学宇宙研究連合)が LSI の運営を任されます。

NASAはやはり偉大なもので、アポロ11号によって回収された試料を世界中の 142 名の研究者およびグループに配分し、1970年01月05 - 08日に、彼らを含む数百名の科学者たちがヒューストンに集まって、アポロ11号月科学会議(Apollo 11 Lunar Science Conference)が開かれます。そこでの結果は、明らかに高温起源の月を示すものでしたが、月表面のごく一部からの試料である事もあり、低温起源派も含め、より大きな範囲からの試料回収の必要性を主張するようになります。

アミノ酸合成で有名なユーリー・ミラーの実験でも知られるノーベル賞科学者ハロルド・C・ユーリー博士も、月面の暗い部分の一部は炭素質コンドライト様物質ではないかと思っていました。月に関してはそれは間違っていたように思いますが、小惑星ベスタ上で最近見つかった暗い物質は炭素質コンドライト的な小惑星が衝突して汚染した物質と思われ、ユーリー博士の考えはベスタでは正しかったのかもしれません。私の指導教官は「月と小惑星」という本を書かれましたが、そこでの小惑星はベスタのことであり、ある意味でベスタは月の弟のようなものかもしれません。

画像:第2回の月科学会議の要旨集。こちらのボス格のジム・ヘッド教授所蔵のものがここに寄付されています.(ページレイアウト都合上、トリミングを施しています.画像をクリックすると別窓で元画像が表示されます.)

話が逸れましたが、1971年の第2回からは月科学会議(Lunar Science Conference, LSC)となり、1978年からは月・惑星科学会議(Lunar and Planetary Science Conference, LPSC)という現在の名称に変わって、今年2013年には通算 44 回目が開かれることになります。LSI も LPI(Lunar and Planetary Instutitue)になりました。私の指導教官の武田弘先生はきっと第1回か2回くらいから参加されているのでしょうが、私は渡米した翌年の1991年、第22回から22回目の参加になります(1998年は次女が生まれる週だったので欠席しました)。ブラウン大学惑星地質グループの図書室には、第1回からの要旨集や論文集(Proceedings)がありますが、1970年の第1回だけは要旨集はなく、いきなり発表をさせて、その後で論文集を出したようです。

画像:ブラウン大学惑星地質グループの図書室には、LPS および LPSC の要旨集と論文集が所蔵されている.

私が学生およびボスドクの頃は、要旨集だけでも黄色い分厚い電話帳のようなものが二~三冊になり、ヒューストンで受け取ってから持ち帰るのも大変なので、発送してしまう人たちも多くいました。惑星科学の研究室は歴代の要旨集で壁が黄色に彩られているのが印象的でした。それが後に CD に変わり、今では USB スティックで配布されるようになりました。また、参加者に配られるものに LPSC バッグがあります。T シャツも $ 10 とかで販売されていて、LPSC 参加者たちの一体感をかもし出すのに一役果たしています。

画像:私のうちにまだ残っている LPSC グッズ。要旨集とプログラム以外にこの LPSC バッグが参加者に配られ、T シャツも販売しています。

私が渡米した1990年には金星探査機マゼランのデータが出てきて、その研究発表で1991年以降は賑わっていました。私は、1991年の最初の参加の時には、博士課程でも研究した分光の鉱物混合モデルの発表をしましたが、そのときに、測光・分光モデルで有名なブルース・ハプケ博士に私の研究を個別に聞いてもらう機会が持てて、非常に勉強になりました。その頃は、博士のもう一つの業績である宇宙風化に深入りしていくことになるとは思ってもいませんでしたが。

後には1993年の火星隕石 ALH84001 にバクテリアの化石が発見されたという研究発表に刺激されて、火星探査ミッションの黄金時代とも言えるものが始まり、LPSC でも火星の特に赤外分光による鉱物探査が多く特別セッションを開いて発表されるようになりました。わたしは、それら NASA および ESA(欧州宇宙局)の惑星探査および研究の力に圧倒されていました。

一方で、アポロ以降月に行っていない NASA の倦怠感はあり、月を研究する人々は、アメリカが月にいつ戻るのかと心待ちにしていました。そんな時、日本の SELENE(かぐや)計画が1995年頃に始まり、2000年頃に月に巨大衛星を飛ばすという発表があり、それに刺激された月探査が再び活気を帯びて欧米・インド・中国が乗り出してきました。私も SELENE のチームメンバーとして月物質の分光に関する研究発表もするようになりました。

同時にやはり日本の MUSES-C(はやぶさ)計画が小惑星イトカワにランデブーし、そしてアポロ・スターダスト以降初の地球圏外試料回収に成功しました。その結果、2006年と2011年にLPSCでの特別セッションを 2 回も持つことができ、300人ほど入る会場が超満員になる成功を収めました。かぐやも同様に特別セッションを持つことができました。これらは、日本の固体惑星科学分野では初の快挙であり、JAXA が NASA や ESA と肩を並べるようになった感がしました。研究者たちも、数においては少ないものの、トップのレベルは近づいてきていると思いました。

私は1995年頃に小惑星の宇宙風化を肯定する立場をとり始めてからは、LPSC でも迫害の連続を受け、1999年には発表要旨も拒絶されるという事態が起きました。ブラウン大での私のボスのカーリー・ピータース教授にも仲介してもらって、委員会の責任者の一人であるデイブ・ブラック博士に問い合わせたところ、査読者が言うには、我々が使用したレーザーの波長が書いてなかったからだという、おかしな言い訳をしてきました。要旨中には佐々木晶さんの学生の山田さんの1998年の引用文献を示してあり、それを見れば YAG レーザーで波長も書いてあるわけで、これは明らかな迫害です。査読者は宇宙風化を否定しているグループの一員でした。最終的にはポスター発表に入ることができましたが、ブラック氏は最後までその間違いを認めませんでした。アメリカおよび NASA の恥です。

画像:私と佐々木晶さんの宇宙風化の実験的研究の要旨が第30回の LPSC によって拒絶されたときの手紙。

しかし今や日本はアメリカも無視できない惑星探査および研究での実績を挙げつつあり、1990年代とはまったく違います。はやぶさの試料回収は、1970年に私のボスの指導教官であったトム・マッコード博士による小惑星ベスタの表面とユークライト隕石との類似性の発見と、月試料が宇宙風化をしているという二つの事実の矛盾性を、40 年経って解決した世界的快挙だと思います。かぐや衛星も、月の地殻厚さ分布、磁気異常分布、クレーター年代決定、極域の詳細観測、純粋な斜長岩やカンラン石の発見、スピネルの分布の研究など、世界第一級の研究成果を出しています。

私は、NASA の研究費で運営されている RELAB で働き、給料も全て NASA からブラウン大に振り込まれている関係上、同様に NASA 研究費をもらっている米国の研究者達の試料を偏見なく、持てる最大の技術と判断力で測定・解析していますが、チームメンバーとしては、はやぶさ・かぐや・はやぶさ2といった JAXA 側にしか入っていません。それでも重要な RELAB の仕事を任されているのは NASA およびアメリカの懐の大きさを示しているのかもしれませんが、私としてはだからといってアメリカに媚を売るわけでもなく、日本にひいきするわけでもありません。科学的に事実は事実、真実は一つなので、それらに基づいて相手が誰でも本当のことを言い、出来る事は出来る、出来ないことは出来ないと言うだけです。現在の仕事および LPSC の参加を通して、いろんな人々と交流ができ、いろんな事を学ばされました。

今年2013年の LPSC も、世界中からの研究者で賑わうことでしょう。今回は炭素質コンドライトの宇宙風化の発表を口頭で出来ることになりました。やはり、はやぶさ2およびオシリス・レックスを含む C 型小惑星試料回収計画が始まっているので、人々の関心もそこに集まりつつあるのでしょう。最終日である金曜日の午前中なので何人の人が聞きに来るかわかりませんが。

画像:42th LPSC 2011 でのはやぶさ特別セッションメンバーなどの写真です。