科学者による「啓蒙」活動の現在~科学と社会のより良い関係をめざして~

前波晴彦:宇都宮大学国際学部国際文化学科990563k(当時)

  • Jan. 27 2016 改訂

画像:M-V ロケット5号機によって打ち上げられた MUSES-C 探査機は、2004年5月19日15時22分(日本時間)、東太平洋上空高度 3,700 km にて地球に再接近、イオンエンジンを運用して加速しながらのパワースイングバイを実施した。その際、航法・理学観測用の搭載カメラ3台(望遠1、広角2)および近赤外線分光器により、月や地球を撮影、装置の較正と性能評価試験を実施した。2005年09月に地球から約 3 億km 離れた位置で小惑星イトカワとランデブー、同11月イトカワに着陸。2007年04月、地球帰還に向けた本格巡航を開始した。

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卒業論文要旨

現在我々が享受している生活が科学にその多くを負っていることは周知の通りであろう。しかし我々はその科学に直接携わっている科学者という人々についてどれほどのことを知っているだろうか。近年、科学者の中には科学に特に関心を持たない大衆と積極的に向き合おうとするものが現れるようになった。本稿が注目するのはこうした人々の活動である。

我々がこんにち呼ぶところの「科学」が生まれたのは19世紀のことであり、ほぼ時を同じくして日本にも「西洋の先端的学問」として受容された。そしてこの科学、「科学・技術」は日本が明治維新後に急速に欧米列強と肩を並べる原動力となったのである。日本は戦後において「技術革新」の名のもとに「高度成長」を遂げたのであるが、しかし、そうした中で、あるものは科学への興味を無くし、またあるものは「反科学」や「超科学」などの科学に代わるものを模索するようになっていった。

科学を啓蒙することは19世紀の科学の誕生以来行われてきた。それは主に科学者から政府、政府から一般民衆という一方通行で行われたと言って良く、まさに啓蒙であった。そしてこの構図は戦後こんにちに至るまで続いてきた。ところが、近年になってこれまでの啓蒙とは異なる「啓蒙」の必要が叫ばれるようになった。それは「上から下へ」という形ではなく、科学者と一般民衆が共に考える新しい科学と社会の関係であった。本稿で取り上げるMEF(小天体探査フォーラム:Minor Body Exploration Forum )はまさにそれを実践しようとしている団体であり、その点で注目に値する。同時に本稿ではMEFに携わるひとりの科学者を取り上げる。MEFの「運営委員」として中心的な立場にある彼は、きわめて積極的に社会と科学者との関係を改善し、社会に「身近な科学者」となることを目指している。これらの事例はこれまで一般民衆を無視し、社会と関わらずに「孤高の存在」となってきた科学者が従来とは異なる「啓蒙」活動に携わろうしている一例である。

本稿では事例として取り上げた人々の姿を通して大衆と向き合う科学者を論じ、「ボトムアップ」「アウトリーチ」という言葉を通して、また「インタープリター」という存在を通して、新しい「啓蒙」の姿を考察する。またそれに加えて、科学と社会のより良い関係についての一考察を行う。

はじめに

2002年も終盤に入ろうかという頃、日本人のノーベル賞受賞者が誕生したというニュースが日本を駆け巡った。しかも今回は2名同時受賞だという。基礎研究が弱いといわれ続けてきた我が国にとって明るいニュースとなった。

日本人がノーベル賞を受賞したのは何もこれがはじめてのことではないが、これまでと異なっていたのはメディアの取りあげ方であった。特に民間に勤めるサラリーマンが一躍ノーベル賞学者になったことに注目が集まった。また受賞者のキャラクターが世間に受け、それがますます報道を過熱させていった。毎日のニュースはもちろん、ワイドショーでもこの話題が取りあげられない日はなかった。マスコミは受賞者の一挙手一投足を報じ、受賞会場には日本のマスコミが大挙して押しかけた。

しかし、どれほどの人が彼ら受賞者の研究内容とそれが意味するところを理解しただろうか。はるばるストックホルムの受賞会場にまで詰めかけて賞金の使い道を尋ねたマスコミは一体何を伝えようとしたのだろうか。この「ノーベル賞フィーバー」は科学者と社会もしくは科学と社会の関係、そして両者をつなぐ存在という本稿の論点をいみじくも象徴するものであった。

研究の動機

本稿における主な論点は、従来の啓蒙とは異なる意識によって社会に関わる科学者の姿を描き出すことにある。社会が科学に求めるものも時代とともに変化している。社会が科学に求めるものが変わって行く中で、科学者が社会に対して行う活動も変化していくに違いない。そこで本稿では科学者による啓蒙活動に焦点を当て、科学と社会の関係について論じる。

これは筆者が以前より科学や技術というものに強い関心を持ってきたこと、そしてそうした科学を見聞きしたときに感じてきた疑問に起因する。科学や技術に関心を持っているものにとって、報道における科学や技術の扱われ方は時にぞんざいに思えることがある。マスコミはこうした報道にあまり気を使っていないのではないかと感じることもある。しかし、科学が我々の生活に大きな影響を与え、もはやその存在を無視することができなくなっているのは自明である。

20世紀を振り返って「科学技術の世紀」といわれるように、科学は驚くべき発展を遂げてきた。人類は鳥のように空を飛びたいという夢を実現してからわずか58年で宇宙へ飛び出し、さらにそこから10年も経たないうちに月にまで辿り着いた。その一方で科学は戦争に利用されその強大さを見せつけたのであった。そして現代に入って科学は我々の生活の隅々にまで入り込むようになったのである。

ではなぜ科学は人々の間に馴染まないのだろうか。なぜ科学と社会は乖離しているのか。そもそも科学とはどんなもので、現代社会においてどのような位置付けがなされているのだろうか。そしてこうした現状をどのように考えるべきなのか。こうした疑問が当研究をはじめるきっかけとなった。

先行研究の検討、ならびに問題の所在

本稿の重要な論点は科学という概念・制度が社会の中でどのような位置を占めてきたのかということで、このことは科学史や技術史といった学問によって明らかにされてきた。本稿では19世紀における近代「科学」の誕生から20世紀末の「科学技術神話の崩壊」までのこの流れを、主に、中山、吉岡らによる『戦後科学技術の社会史』(1994)や大沼の『科学史を考える』(1986)、村上の『近代科学と聖俗革命』(1976)などに依拠し、近代科学と啓蒙主義の関係、科学の興りから日本における受容、「科学」と「科学技術」という用語、そして戦中、戦後日本における科学という流れを見ていくことにする。同時に、文部科学省が発行する『科学技術白書』のデータを先行文献と対照し、現代日本における科学技術の位置付けを明らかにする。

本稿におけるもうひとつの重要な論点は、科学者とは我々の社会の中でどのような位置を占めてきた人々であったのかということである。この点については科学社会学の成果を概観する。この学問はアメリカの社会学者であるマートンにその端を発する。本稿で主に依拠するのは綾部の「科学者集団の社会・政治学的行動の分析『加速器計画をめぐるわが国の高エネルギー物理学者の動向を事例として』」(1995)であり、綾部はこの中で「利害関係モデル」を提唱し、「科学者集団」と社会の関係をモデル化する。しかし、以上のような研究成果を見ると以下のような問いが生じる。

1. 科学の生々しい存在感が希薄である現代社会にあって、科学者はどのように社会と向き合っているのだろうか。これには科学者が科学をどう捉え、そしてどう伝えていくかという姿勢が含まれる。
2. 科学者が社会と向き合う姿勢は従来のものとどのように異なるのか。
3. 科学とは異なる論理を用いて科学を批判する「反科学」の出現を科学者はどのように受け止めるのか。
4. 綾部の言う「利害関係モデル」では捉えきれない「素人」を相手にする科学者をどう考えるべきか。
5. こうした点を踏まえ、積極的に社会と向き合う科学者をどのように捉えることができるだろうか。
6. 科学と社会の良い関係とはどのようなものか。

このような問いに答えるべく科学社会学から黒田[黒田1996]や佐藤[佐藤 1996]を、社会学からはベックの『危険社会』[ベック 1998]に依拠し、主に科学史、科学社会学、社会学の知見に依拠しつつ、学際的な手法で論を進める。

研究対象及び研究方法について

本稿では上記のような問いを検証するために、小天体探査フォーラム(Minor Body Exploration Forum)1を事例として選んだ。

MEFは文部科学省宇宙科学研究所に勤務する矢野創氏によって2000年5月に設立された。設立の目的は惑星探査機の企画立案を一般に公開して行うというものであった。これは情報公開という意味での公開ではなく、一般からも広く参加者を募るというものであった。その目的の特殊性から参加者の大半を科学者、技術者、研究者、大学院生などの「専門家」が占めるが、ノンフィクションライターやSF作家、中には主婦や小学生も含まれている。本稿執筆時において会員数は185名である。MEFの活動はネット上におけるメーリングリストを用いた議論と2000年12月に開設された「一般公開ページ」上での情報公開がその大部分を占める。つまりMEFはその規模においても形態においても一般的なネットコミュニティの域を出ていない。

本研究でMEFを事例として選定した理由は以下の通りである。

1. 科学者が社会と向き合う実例として格好の対象となり得る。
2. この事例を通して従来とは異なる科学啓蒙の姿をきわめて明確に示すことができる。
3. この事例によって明らかになる「素人」と向き合う科学者の姿は先行研究において十分に論じられておらず、新たな科学と社会の関係を示すことができる。

ただし、事例から明らかになることには限界がある。それは本稿で取り上げるのが1団体に過ぎないこと、また設立から2年しか経っておらずその活動もきわめて小規模であるという点による。しかし、既に述べたような問いに対する答えを明らかにすることができるこの事例はこのような限界を考慮してもなお、検討に値すると考える。なぜならMEFはいかなる公的な上部団体も持たない完全な任意団体であり、また実際に科学にたずさわる科学者当人達によって設立され運営されており、そして何よりも、従来の啓蒙とは異なる新たな社会への関わりを彼ら自身が意識し、実践しようとしているからである。

本稿ではMEFとそれに関わる科学者の姿を描くために当事者との深層インタビュー調査によって得た質的データを一次資料として用いる。具体的にはMEFの「オーナー」である矢野創氏と「運営委員」である秋山演亮氏の両氏へのインタビュー、Eメールでの質疑応答で得られたものを資料とした。

先にあげたような先行研究の分野では当事者に対する直接的な調査が行われることは一般的でないが、しかし本研究で取り上げるMEFという団体、そしてそこにたずさわる人々は、科学と社会を結びつけようという運動において先端的な位置にいると思われる。こうしたことから文献等による調査のみに頼るのではなく、当事者の生の声を聞き、彼らの行動を見ることでこうした活動を考察することができると考えた。

尚、本稿で対象となる団体が行っている科学の宣伝・普及活動はいわゆる啓蒙活動とは趣を異にしている。そのことは彼ら自身も語っており、本稿でも取り上げる論点である。そのため、本稿ではこうした活動をカッコ付きで「啓蒙」ならびに「啓蒙」活動と表記し、従来の啓蒙および啓蒙活動とは区別する。

本論文の構成

本稿は以下のような3章から構成されている。

第1章においては、科学の誕生から日本における科学の受容、そして現代における科学へのまなざしを『科学技術白書』と先行文献によって概観する。続く第2章では実際にインタビューを通して得た証言からMEFの組織と活動について記述した。またMEFにたずさわるひとりの科学者の実例をあげ、彼の姿から積極的に社会と向き合う科学者の姿を描こうと試みる。第3章では「アウトリーチ」「ボトムアップ」というMEFの活動を語るうえで重要なキーワードを通して、彼らが新しい「啓蒙」を志向していることを示す。また「インタープリター」という存在に注目し、MEFのような活動が科学と社会の関係にどのように影響を与えうるかの一考察を試みる。

さらにMEFの沿革と矢野、秋山両氏の略歴を添付資料として巻末に加えた。

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